イギリス生活を気ままに綴るブログ

イギリスでの駐在妻生活を気ままに綴ってみたり、単なる独り言をつぶやいてみる予定のブログ。これからイギリスに住む人や住み始めたばかりの人の役に立つ情報があったりなかったりするかもしれない。。。

イギリスで専業主婦になる→健康を取り戻す

”バリバリ”からの専業主婦生活

就職して8年間、体育会系精神をモットーとする(?)会社で働いていた。良くも悪くも男女差別なし。しばしば仕事が深夜まで及ぶことがあったが当然「夜道危ないから先帰りなよ」などと言われることは一度もなく(たぶん言ってくれる人がいたらそれだけで惚れたね)、9割が男性の職場だったこともあって、はっきり言って自分が女だということを忘れていた。

夫は会社は違うが同じく多忙で、結婚してからもお互い帰宅は夜10時以降。早く帰ったほうが夕食を作って(どっちが早いかのチキンレース?)、大体食べるのは11時くらい。私は体調を崩しがちで休日は家で寝ていたりと、味気ない新婚生活を送っていた。


夫は会社は違うが同じく多忙で、結婚してからもお互い帰宅は夜10時以降。早く帰ったほうが夕食(大体そばか鍋。簡単で消化にいいから)を作って、大体食べるのは11時くらい。私は体調を崩しがちで休日は家で寝ていたりと、味気ない新婚生活を送っていた。


イギリスで私が専業主婦になることで、お互いかなり人間らしい生活が送れるようになったのは事実だ。2人とも食べることが好きなので、初めて扱う食材で新しいレシピに挑戦する毎日はそれだけでやりがいがあった。夫も日本にいるときよりは早く帰って来れるので、夕食もゆっくり摂れるようになった。


子供もいない専業主婦生活は、持て余すほどたくさん時間があるので、とりあえずたまに英会話学校に通ったり、ずっとやってみたいと思っていた編み物に挑戦してみたり、週に2日ほどは、電車で1時間かけてロンドンまでダンス(もともと趣味だった)を習いに行ったりしていた。


そして週末は月1,2回旅行に。(今思えば夢のような生活だわ)
そんなこんなののんびりとした生活を送っているうちにいつの間にか体調は回復、あれはやはりストレスと疲労だったと知る。どちらにしろ休まなければ治らない病気だったということだ。

初めてのイギリス赴任顛末記③ ~2011年春~

いざ、イギリスへ

ヒースロー空港に迎えに来た夫の車に乗り込み、イギリスの風景を目の当たりにして出た最初の言葉は「ていうかここ北海道?」だった。


どこまでも広がる草原、なだらかな丘、所々で羊が無心に(そう見えるだけか)草を食んでいる。そうか、イギリスって北海道だったのか・・・。


車で一時間、景色は一向に変わらずどこまで行ってもその風景が広がっているのだった。イギリスって田舎だったのか・・・。


イギリスというとロンドンのイメージしかなく(つまり日本というと東京のイメージ、というのと同じなのだが)、一応先進国だしもっと都会なのかと思っていたが、我々が住む地域がロンドンから一時間の郊外ということもあり、とにかく自然豊かな田舎なのであった。

初めてのイギリス赴任顛末記② ~2011年春~

それでも新婚旅行へ

実は、2011年12月に式を挙げたばかりだった私たちは、イギリスに行く前にモルディブへの新婚旅行を予定していた。


しかし、成田エクスプレスも運休したまま。


原発もどうなるかわからない状況で、行くべきかどうか迷ったが、2人とも貧乏性でキャンセル料を払いたくない上に、もうモルディブなんか一生行けないかもしれないし、日本にいたところで会社も開店休業状態だし、ということで、売る予定にしていた車の引渡しを無理やり延ばしてもらって、自力で成田空港まで行き、海外逃亡しようとする外国人に交じってモルディブに向かったのだった。

半ば無理矢理行ったモルディブのリゾードは、災害後の停電やら物資不足、放射能への不安などで疲れた心身を癒してくれた。


ただ、計算外だったのが、揺れやら津波に異常に敏感になっている時期に、些細なことで揺れるコテージは非常に心臓に悪かった(そんなこと想像もしてなかった)。


しかもよく考えたらモルディブはスマトラ沖の地震のときには大津波の被害に遭った地域だったんだよね、と、なんだかもやもやとした不安を感じてしまうことも。


モルディブの人はもちろん、同じく観光で来ている外国人もやっぱり津波のニュースを気にしてくれていて、東京から来た、と言ったら驚かれたけどね。。。


楽しい逃亡生活はあっという間に過ぎ、帰りのシンガポールの空港でインターネットをチェックすると、原発の危機的状況は相変わらず続いており、一気に気分はどんより。


成田空港からの帰りのラジオでは、計画停電と、水道水が汚染される可能性などを伝えており、本当に日本はどうなってしまうのかと再び不安に駆られる。


幸いというか、夫は予定通り3月末にイギリスへと発ち、混乱の日々を過ごす関東の人々に申し訳ないと思いつつ、私は関西の実家に一時的に戻り、安息の日を得た。


そういえば会社に最後の挨拶に行ったら、「いいなあ、放射能から逃げられて、、、」て言われたな。別に謀った訳ではないのに、と少しムッとしたけど、正直な感想だよね。


イギリスでは車を運転しなければならない可能性を考慮し、一か月ほど地元の自動車教習所に通った(それまで免許を持っていなかった)後、夫の待つイギリスへと旅立ったのである。